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サムライブルーの成功 カタールW杯とドイツNRW州で – その歩み 

サッカー日本代表は2022年ワールドカップでサクセスストーリーを描いた。2014年W杯の覇者ドイツとカタール大会の優勝候補に名を連ねていたスペインに勝利し、グループリーグを1位で通過したことは、同大会でのサプライズのひとつだ。この結果を受け、FIFAワールドランキングは20位に上昇した。 

同大会での成功は、日本サッカーの国際化と密接に関係している。日本が初めてワールドカップに出場した1998年当時、代表メンバーはすべてJリーグのプレイヤーだったが、中東カタールでのワールドカップでは、代表選手26人のうち19名がヨーロッパのクラブに所属。ドイツのクラブと契約している選手がそのうち8名いる。

NRW 州に本拠地を置くサッカークラブも多く、ここで活躍する日本代表選手には、浅野拓磨(VfLボーフム)、吉田麻也(シャルケ04/ゲルゼンキルヒェン)、田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ<2部リーグ>)、板倉滉(ボルシア・メンヒェングラートバッハ)選手などがいる。 

また日本サッカー協会が世界初の海外事務所をドイツに開設したことも大きく貢献している。2020年10月、NRW州の州都デュッセルドルフに開設された事務所(代表:津村尚樹氏)では、欧州でプレーする選手のサポートや所属クラブとの連携を図っている。NRW州を選定した理由として、抜群のインフラと優れたネットワークが存在すること、またヨーロッパの中心に位置していることなど、数多くの理由が挙げられる。 

日本サッカーの歴史に目を投じると、NRW州と関連する歴史は、1960年代にまで遡る。NRW州ドルトムント出身のデットマール・クラマー氏(1925年生-2015年没)は1964年の夏季オリンピック東京大会で日本代表を3年間にわたり指導した。 NRW州のサッカークラブで選手としてのキャリアをスタートした同氏は、その後、1949年から1963年までデュイスブルクの西ドイツサッカー協会でヘッドコーチを務めている。

また1977年、1.FCケルンで日本人初のブンデスリーガ選手としてデビューした奥寺康彦氏も忘れてはならない。在籍時の1977/78シーズンに1.FCケルンはドイツチャンピオンとドイツサッカー連盟カップ(DFB杯)の優勝を果たしている。その後、時を経て1.FCケルンで大迫勇也選手がプレー(2014-18年)した他、香川真司選手のボルシア・ドルトムントでの大活躍は、日本のサッカーファンのみならず、メディアや一般視聴者の目を一気にドイツサッカーへと向けた出来事だった。

また現日本サッカー協会の田嶋幸三会長もまたNRW州に縁がある。1980年代、彼はドイツ ケルン体育大学でコーチライセンスを取得しているのだ。同大学は、日本の複数の大学と交流のある国際的名門校として現在も日本の学生から絶大な人気を誇っている。 

また、Jリーグ創設以来、多くの海外プレーヤーが更なる活躍の場を求めて来日したが、中にはNRW州に所縁のあるプレイヤーもいる。ピエール・リトバルスキーとルーカス・ポドルスキがその両名。

そしてピッチの外でも、NRW州と日本の関係は深化し続けている。1.FCケルンはサンフレッチェ広島とスポーツ・経営面で協力協定を締結しており、昨秋、経営陣が来日し、ファンやパートナー、スポンサー、地元メディアとのネットワーク強化に努めた。

また日本を重要な市場のひとつと位置付けるボルシア・ドルトムントも長年にわたり日本訪問を繰り返し、日本各地でドルトムント・サッカーアカデミーを運営している。さらに田中碧選手が所属するフォルトゥナ・デュッセルドルフにはジャパンデスクが開設されており、日本企業のスポンサー開拓や日本向けのCSR(企業の社会的責任)活動を展開している他、デュッセルドルフ日本人学校の子どもたちに「フォルトゥナ・レッスン」を提供している。そして日本でも「フォルトゥナ・サッカースクール」で出張スクールを展開中だ。 

参考資料1 2 3 4 5  写真コピーライト@Fortuna Düsseldorf