Jump to Navigation Jump to search Jump to Content Jump to Footer

インダストリー4.0に取り組んでいる地域とは、どんなところ?

日独両国の科学技術政策に精通し「ドイツに学ぶ科学技術政策」(近代科学社より出版)の著書がある永野博氏に寄稿いただいた。NRW州東部に広がる製造業集積地域の先端クラスター「it's OWL」がこの地で積極的に進められいる背景や、その歴史に触れる

 

ドイツでインダストリー4.0のような新たな製造業の形を作る試みに取り組んでいる地域の代表例としてあげられるのがNRW州東部の東ヴェストファーレン・リッペ(OWL、リッペはこの付近を流れる川の名称)と呼ばれる、日本人には覚えにくい名前の地域である。NRW州の中心部はデュッセルドルフを中心とするラインラント地方だが、ここOWL地域はそこから150キロほど東に位置している、特に変哲のない田園地帯に小さな町が散在する地域である。

製造業の変革を進めている地域はどこかとドイツで聞くと、ミュンヘンやシュトゥットガルトのような南部地域とともに、ここOWLをあげる人が多い。ではOWL地域での大きな町はと聞いても、パーダーボルン(人口約30万人)、ビーレフェルト(同約15万人)など耳慣れない都市名がでてくる。今回、この地域で列車を降りたギュータースロー、ホテルに泊まったフェールなど、もちろん日本ではほとんど誰も聞いたことのない町の名前である。しかし驚いたことにギュータースロー駅を降りると、日本でもキッチン製品で有名なミーレ社の宣伝がある。この町にはこのミーレ社と、もう一つ、欧州最大のメディア・コングロマリットであるベルテルスマン社が本社を構えている。そこからタクシーで10分ほど離れたフェールという人口2万5,000人の小さな町は、世界有数のキッチンメーカーであるノビリア社、さらにインダストリー4.0のキャッチフレーズである「つなげる」を実現するための中核をなすPCによる自動制御装置の覇者、ベッコフ・オートメーション社の本拠地である

ではなぜこの地域がいまや製造業のトップを走る地域となったのであろうか。歴史的にみると隣のルール工業地帯が石炭産業、鉄鋼業などで栄え、中心となる企業が大規模化したのに対し、こちらは手工業時代からのものづくりの伝統のうえに、大企業の影響を受けることなく繊維、食品、機械、自動車関連、ITサービスのような分野の企業が育ってきた。なかでも忘れることのできないのがパーダーボルンにおけるコンピュータ産業の勃興である。もともとドイツには第二次大戦中のツーゼによる世界初のコンピュータの開発のような歴史があるが、パーダーボルンに生まれたハインツ・ニックスドルフは産業用コンピュータの欧州における先導者として成功し、1968年に設立されたニックスドルフ社(その前身は1952年に発足)は1988年には日本も含め世界で3万人以上の従業員を抱える輝かしいコンピュータの先駆的企業となった。残念ながらニックスドルフの突然の死などにより、その後、同社はシーメンス社に買収されることになったが、ドイツにおけるニックスドルフの名声は高く、パーダーボルンにあるハインツ・ニックスドルフ博物館には見学に来る人が後を絶たない。この地域がドイツにおけるITサービス業の中心地であることもわかる。

このような地域の特徴もあってか、連邦政府が産学連携を具体的に進める先端クラスター競争プログラムでは全国で15か所のクラスターが推進されているが、この地域はインダストリー4.0の具体化を図る代表的事例として取り上げられている。1つのクラスターの事業規模は5年間で1億ユーロ(約140億円)だが、連邦政府の支援は4割だけで、あとの6割は地元企業が負担する。それではこのクラスター政策では実際にはどのように事業がすすめられているのであろうか。大きく分けて、大学やフラウンホーファー研究所などが中心となって進め、クラスター参加者が幅広く裨益する横割り的事業と、企業が主体となってすすめる事業にわかれる。例えばPC制御機器メーカーであるベッコフ社がリードする1つのプロジェクトでは、同社と関連企業数社、それにパーダーボルン大学が入って研究開発を進めている。この場合、公的機関である大学には資金の100%が支援されるのに対して、企業の方への政府からの支援はケースバイケースであるが最大50%である。日本にもクラスター事業というものがあったが、資金はほとんど政府が出し、しかも支援期間が終了すると雲散霧消してしまうことがある。これに対してドイツのクラスター支援事業では、地元企業が出す金額も大きいため、事業終了後も活動が継続されやすい。日独の決定的な違いは、研究テーマに企業が本当に必要とするものを選んでいるかどうかである。

ベッコフ社のあるフェールからパーダーボルンへの移動中、タクシーの運転手は現在のハンス・ベッコフ社長が父親の電気店から独立してどのように成功したか、また、兄弟もそれぞれ別の企業を経営していて成功していることを自分の家族のことのように話していた。地域共同体の暖かさと、世界への発展のバイタリティの両方が不思議と感じられるNRW州の小さな町での体験であった。(寄稿:永野博氏)